ジーン・ウルフ「ケルベロス第五の首」

ジーン・ウルフ初期の代表的連作中篇SFである「ケルベロス第五の首」(ISBN:4336045666)については、ネット上でもいろいろ書評やコメントが出てきていて嬉しい限りですね。
これまでは、CAVE CANEM (http://webpages.charter.net/rborski/index.html)やMLを英語で読むしかなかったので、日本語でいろいろな方のコメントが読めるのはありがたいです。

いろいろと疑問点はあるのですが、とりあえずはいくつか。

1. 邦訳303ページ「あなたはどこにいるんだ、ジーニー叔母さん? わたしがここにいると知っているのかい?」とあります。これは誰の台詞なのでしょう? 普通に考えればV.R.T.でしょうが、彼が「叔母さん」と呼びかけるのはちょっと不自然なように思えます。そうするとこれは「第五号」の台詞で、「第五号」とマーシュ=V.R.T.の人格が混ざり合っている可能性を示唆するのでしょうか? なお「ジーニー叔母さん」は原文では "Tante Jeannine" なので「ジーニー」とは読めないと思います。フランス語風に「ジャンニーヌ」とした方がいいのではないかと思います。

2. それでは「ジーニー叔母さん」とはいったい何者なのでしょう? どうも「父」のクローン実験の単なる結果というだけではないように思います。また上の引用直前の「女の子」というのも、ただの売春婦ではないと思います。

3. 「ルェーヴの公理」(Liev's Postpostulate)とは何を意味するのか? ヴェールの仮説(Veil's Hypothesis)とは「アボが人類を殺して人類に取ってかわった」ものですから、「ルェーヴの公理」は「人類がアボを殺してアボに取ってかわった」もののはずです。そうするとCAVE CANEMの説明(http://webpages.charter.net/rborski/caveHL.html)は半分しか正しくないことになります。もっとうまい説明としては、http://www.urth.net/urth/archives/v0205/947.txt.shtml にあるように、初期のフランス人入植者が荒野に逃れて「自由の民」になったというものです。しかしそうすると「わたしはルェーヴであり、もういない」"I am Liev and I have left." とは何から "left" したことを意味するのでしょう?