ジーン・ウルフとJ.S.バッハ

ケルベロス第五の首」にしても「アメリカの七夜」にしても、もちろん「新しい太陽の書」にしても、ジーン・ウルフのある一定以上の長さの作品はどれも、細部を気にすればするほど同じ物語に思えてくる。主題が三つか四つ、キャラクターが五、六人、それに原型的なプロットを適宜組み合わせて変奏を奏でているようだ。ある意味ウルフという人は、きわめて知的である反面、無意識的な想像力を駆使して奔放に物語世界を形作っていくのが苦手なのかもしれない。それでも一見したところはとても同じ話に見えないのはさすがなのか、単にこちらの思い込みが過ぎるだけなのか。

いくつかの主題から変幻自在に変奏を形作るというと、やはりJ.S.バッハだろう。一つの主題から32種類の変奏を作り出してしまう「ゴルトベルク変奏曲」や、「音楽の捧げもの」「フーガの技法」など対位法テクニックを極限までつきつめたカノン・フーガの数々、教会音楽のあらゆる可能性を試みた数多くのカンタータなど、ホフスタッターの「ゲーデルエッシャー、バッハ」(ISBN:4826900252)に見るまでもなく、バッハは音楽史上もっとも知的な作曲家の一人だろう。この意味でジーン・ウルフとバッハはよく似ている。

にもかかわらず作品が頭でっかちではなく、同時に信じられないほど美しいものであり、しばしば知性を問答無用に圧倒しているところがバッハのすごいところだ(もっとも退屈な作品もないわけではないが)。ウルフの場合も「新しい太陽の書」などでは物語の魅力が、作者が知性で構築したロジックをしばしば圧倒してしまっているように思う。それがウルフをマニア受けのする知的な作家な作家から、多くのファンから愛されるベストセラー作家に変貌させた所以であると同時に、作者にとっては思わぬ誤算だったのかもしれない。