「eとらんす」10月号

「eとらんす」10月号を買った。昨日昼休みに会社のそばの本屋を何軒か探してもなかったのだが、結局地元の書店で見つけた。内容は8月5日三省堂本店での柳下毅一郎氏と若島正氏のトークショーを完全収録というもの(参加していないので本当に完全収録かどうかは知らない)。内容は期待通り濃いもので、いくつか新しい発見もあった。

  • 『ある物語』の書き手について、柳下氏はヤード・ポンド法の使用法から「とりあえず」地球から来た人類学者のマーシュだと考えているのに対し、若島氏はいくつかの理由からV.R.T.だろうと考える。
    • これについては、「とりあえず」若島氏の説の方が正しいように思う。特に第二部エピグラフで引用されている「十字架の聖ヨハネ」が獄中で作品を書いたこと(8/31の日記参照)、また第三部でV.R.T.が同じく獄中で小説を書きたいと言っていることは重要なポイントだろう。一方柳下氏の言うヤード・ポンド法についても無視できない。単なるウルフの見落としという可能性も否定できないが、第三部でヤード・ポンド法メートル法を巧妙に使い分けているウルフがそんな単純な間違いを犯すとは考え難い。
    • 一方、獄中でV.R.T.が書いたのは第二部ではなくて第一部だとの可能性もある。「小説」として考えるなら第一部の方が似つかわしい。第一部の冒頭がプルーストに類似しているのも、本を読んで「小説」の書き方を勉強したV.R.T.ならではでないか。また第一部でのマーシュの存在が妙なのも(例えばP.96の3行目)そのためではないか。あるいは第一部でのマーシュは物語の「作者」であるウルフをあらわすのか。
    • 別の考え方として、V.R.T.とマーシュは「AがBを殺した」という単純な関係ではなく、「AとBとが一体化した」と考えるべきなのかもしれない。第一部の上述P.96やP.101(8/24の日記参照)、また第二部の最後のシーンもそれを暗示しているように思われる。
  • マーシュの日記の切り取られたページについて若島氏は、切り取ったのは「第五号」であるかもしれない、あるいはジョン・V・マーシュというのは偽りの名前で、切り取られた部分に本名が書かれていたのではないかとしている。
    • 自分もやはり「ジョン・V・マーシュ」という名前の人物は本当は存在しないのではないかと思う。パスポートの件は、これが偽名であることを示す作者ウルフからのヒントと考えた方が良いのではないか。「ジョン」「V」「マーシュ」というのは、いかにも偽名というかペンネームであると言っているようなもの。なお "John" は訴訟などで本名を出したくない場合の匿名として用いられるもの。ここからは第二部の全ての登場人物は本名でない=書かれている通りの人物ではないことがわかる。
  • 若島氏はP.88の「スイッチを入れるような」音は実際録音機のスイッチを入れた音であり、そのテープが物語の最後P.322のテープでなないかと考える。
    • これはちょっと苦しいように思う。P.88は確かに何かを示唆しているのだろうが、もう少し比喩的に、例えばある世界から別の世界への移行とかを示しているのではないだろうか。あるいは8/20の日記で書いたように、自分自身のコピーを作る行為を示しているのか。
    • 一方P.322のテープは「ケルベロス第五の首」という物語がここで終わらないことを意味しているように思われる。作者が本の最後で筆を置いても、物語はそこから(おそらくは円環構造により)続いていくわけである。ウルフはこのスタイルが好きなようで、「新しい太陽の書」や「デス博士の島その他の物語」でも似たような手法を取っている。
  • 若島氏は「第五号」が叔母に見せられる両親の写真を、ジーン・ウルフ自身の自伝的なものではないかと考える。
    • なるほど、これは気がつかなかった。

その他共感した部分。

  • 若島氏「細部が非常に凝っていて、しかもそれぞれが乱反射のように対応している。それを糸を引っ張っていくように読むことができる」
  • 柳下氏「構造が分かったからそれでいいじゃん、というのではなくて、そこからもう一度細部に戻って楽しんで欲しい」
  • 若島氏「一回ロジックは通らないといけないけれども、そこで終わりかというと全然そうではない。あー、ウルフってこれが書きたかったんだな、というエモーションを感じるところがあって、それがやっぱり読んでいてすごく面白い」