三位一体節後第17日曜のカンタータ

今日は三位一体節後第17日曜なので、該当するカンタータBWV 148, 114, 47の三作品。

  • BWV 148 "Bringet dem Herrn Ehre seines Namens" 「その御名にふさわしき栄光を」
    • 1723年9月19日、ライプツィヒ時代初年度に演奏されたと考えられるが、はっきりしない。ピカンダーが1725年に出版した詩集によく似た一編があるため、初演を1725年9月23日とする説もある。第1曲の合唱はトランペットを含んだ比較的大規模な編成であり、短い器楽シンフォニアに続いて合唱が入るが、次にトランペットを交えたフーガが続き、再度シンフォニアに戻って終わる。第2曲のテノール・アリアではオブリガート・ヴァイオリンが伴い、第4曲のアルト・アリアにはオーボエ・ダモーレ、オーボエ・ダカッチャが使われる。第4曲では時として通奏低音の流れが途切れ、魂が地上の束縛を離れて天界を目指すことを示唆している。
    • 本日は鈴木雅明指揮、バッハ・コレギウム・ジャパン演奏で聴きました
  • BWV 47 "Wer sich selbst erhöhet, der soll erniedriget werden" 「おのれを高うする者は卑うせられ」
    • 1726年10月13日初演。アイゼナハの宮廷付秘書官J.F.ヘルビヒの歌詞集から台本をとったカンタータ。当日の福音書、ルカ福音書第14章第11節のイエスの言葉「自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは高くされるであろう」という言葉に基づき、各曲で傲慢と謙譲を対比させた歌詞と曲構成を用いている。第1曲の合唱では上記イエスの言葉の対象性を利用して複雑なフーガ・コラールを作曲している。第2曲ソプラノ独唱のダ・カーポ・アリアでは、最初のパートで流れるような柔らかいメロディで謙譲の美徳が歌われた後、中間部では鋭く耳障りに傲慢の悪徳が歌われる。なおこの第2曲は初演時にはオブリガート楽器としてオルガンが用いられたが、1730年代の再演時にはヴァイオリンが用いられている。
    • 本日はニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス演奏で聴きました。

ヘンスラーのバッハ大全集

確か9/18か9/19にjpcに注文したヘルムート・リリング監修のヘンスラー・バッハ全集がもう届いた。本体価格がVAT抜きで112.06ユーロ、送料が14.99ユーロ、合計127.05ユーロ。今のユーロ円ミッドで計算して約17,400円、1枚あたり約102円という驚異的な安さだ。

CD計171枚、解説データCD2枚がCD4枚入りのプラスチックケース44個に収まっていて、それが紙製の化粧ケース二つに入っている。ただし特にクッションも入れずにダンボール箱につめただけで発送されてきたんで、やはり何枚かプラスチックケースの破損があった(完全に割れたもの2個とひびが入っているもの数個)。1枚100円強なんだから、まあしかたないか。BerkshireのアウトレットCDより安いわけだから。ちなみに測ってみたら重さは計7.7kgあった。

データCDの1枚目はバッハの音楽に関する解説と全曲のインデックスで、残念ながら全てドイツ語。データCD2枚目はたぶんオリジナル盤についていたブックレットで歌詞カードや曲目解説など。まあなくてもいいですが。

三位一体節後第15日曜のカンタータ

今日は三位一体節後第15日曜なので、該当するカンタータBWV 138, 99, 51の三作品。

  • BWV 99 "Was Gott tut, das ist wohlgetan" 「神なしたもう御業こそ いと善けれ」
    • 1724年9月17日初演。ライプツィヒ時代のカンタータ第二年巻に属するコラール・カンタータで、S. ローディガスト作の比較的新しいコラールに基づいた作品。第1曲の多声合唱はコラール歌詞をそのまま用いたものだが、協奏曲的な器楽パートはケーテン時代の協奏曲からの転用だと考えられる。第3曲のテノール・アリアでは大変技巧的なフルートの独奏が印象的。第5曲のソプラノとアルトの二重唱アリアはフルートとオーボエ・ダモーレが歌声と密接にからみ合って見事な効果をあげている。
    • 本日はジョシュア・リフキン指揮、バッハ・アンサンブル演奏で聴きました。
  • BWV 51 "Jauchzet Gott in allen Landen" 「全地よ、神にむかいて歓呼せよ」
    • ライプツィヒ時代中期1730年頃に初演されたと考えられるソプラノ独唱用カンタータ。バッハ自筆の総譜には「三位一体節後第15日曜日、および全ての機会に」と記されており、別の機会のために作曲されたものが教会暦の欠落した部分に当てはめられたと考えられる。1730年の教会暦に当てはめると初演は一応1730年9月17日ということになるが、ソプラノに非常に高度なテクニックが求められることから、ライプツィヒ以外の地(おそらくはドレスデン宮廷またはヴァイセンフェルス宮廷)の名歌手のために書かれたものではないかと思われる。第1曲では極めて技巧的なソプラノとトランペットが高らかに喜びを歌い上げているが、一転して第2曲のレチタティーヴォ、第3曲のアリアでは静かな叙情性が強調される。続く第4曲のコラール部分では晴朗で力強く喜びが歌われ、最後に再び技巧的にアレルヤが歌われる。
    • 本日はジェフリー・トーマス指揮アメリカン・バッハ・ソロイスツ演奏、ジュリアンヌ・ベアドのソプラノ独唱で聴きました。

バッハ・コレギウム・ジャパン「ライプツィヒ時代1724年のカンタータ14」

東京オペラシティでのBCJ定期演奏会に行った。演目は以下の通り。

  • Dietrich Buxtehude作 BuxWV 207 "Nimm von uns, Herr, du treuer Gott" 「私たちから取り去ってください、主よ、まことの神よ」オルガン演奏今井奈緒
  • BWV 91 "Gelobet seist du, Jesu Christ" 「誉め讃えられよ、イエス・キリスト降誕節第1日用カンタータ
  • BWV 121 "Christum wir sollen loben schon" 「キリストを誉め讃えよう、喜ばしく」降誕節第2日用カンタータ
  • BWV 101 "Nimm von uns, Herr, du treuer Gott" 「私たちから取り去ってください、主よ、まことの神よ」三位一体節後第10日曜日用カンタータ
  • BWV 133 "Ich freue mich in dir" 「私は、あなたのうちにあって喜び」降誕節第3日用カンタータ

まだ暑いさなかに降誕節カンタータというのもなんだが、まあしかたがないか。ソリストはソプラノが野々下由香里、カウンターテノールロビン・ブレイズテノールゲルト・テュルク、バスがペーター・コーイという、最近のBCJの定番メンバー。前回公演に続いてコルネットトロンボーンコンチェルト・パラティーノが客演していた。

印象的だったのはBWV 101。まず第2曲はオブリガート楽器として通常はヴァイオリンが用いられることが多いようだが(手元にあるアーノンクール盤、リューシンク盤ともヴァイオリンが用いられている)、BCJの本日の演奏では前田りり子によるフルート(フラウト・トラヴェルソ)が用いられていた。鈴木雅明氏の制作ノートによると、これは以下の理由によるものだそうだ。

BWV 101のトラヴェルソパート譜は2種類残されており、一つは第1, 2, 6, 7曲を含むもの。ただし肝心の第2曲は斜線で取り消されている。もう一つのトラヴェルソパート譜には第6曲と第7曲だけが含まれている。新バッハ全集の校訂者ロバート・マーシャル氏によるとこれは、当初トラヴェルソオブリガート楽器として想定されていたが、1724年8月13日の初演の前になんらかの理由でヴァイオリンに変更されたというもの。これに対してゲッティンゲン・バッハ研究所副所長のクラウス・ホーフマン氏の説では、当時バッハの難易度の高いトラヴェルソ作品に随時加わっていた氏名不詳のフルート奏者が初演時に演奏したが、再演時には十分な技巧を持ったフルート奏者が手配できなかったためにヴァイオリンで演奏されたというもの。

今回のBCJの演奏はホーフマン説に則ってフルートで演奏されたもの。確かにヴァイオリン演奏によるCD演奏よりも第2曲はずっと印象的な演奏となっていた。もっとも同じ曲を演奏するとヴァイオリンよりもフルートの方が難易度が高いので、奏者が必死で吹いているのが伝わってくるから、というのもあるかもしれない。特にBCJトラヴェルソ奏者の前田さんはものすごく上手いというわけでもないので、難易度の高い曲では必死感が良くも悪くも伝わってくるように思う。

これ以外では第6曲のソプラノとアルトのアリアが印象的。野々下さんとロビンはどちらもクリスタルで純度の高いな声の持ち主なので、静かにアリアを歌い上げるととても相性が良い。

ヘンスラーのバッハ大全集

ヘンスラーから出ているヘルムート・リリング監修のバッハ大全集が値下げして再発売されるらしい。172枚組で39,900円、CD1枚あたり232円というのは確かに安い。値段ではブリリアントのバッハ・エディションが160枚41,999円で1枚あたり262円なのでリリング版の方が多少安い。まあそういう問題でもないが。

リリングのカンタータは1枚しか持っていないので、ちょっと欲しいような気もするが、でもあのモダン楽器での演奏はあまり好きじゃないし、どうしたものか。声楽曲は宗教カンタータ世俗カンタータ、受難曲まで全てリリングの演奏のようだ。だいたいブリリアントの全集もたぶん6割くらいしか聴いていない。この前買ったカール・リヒターカンタータ選集もまだ半分くらいしか聴いてないな。しかし232円は安いな。でもこれ買ったらまた嫁に文句言われるだろうな。CD置く場所もなくなってきてるし。

ニコンD70

小学校のPTA役員をやっている嫁が運動会で写真係になったらしい。困ったことに日常使っているデジカメのFinePix6900Zで嫁が写真を撮っても、かなりの確率でピンボケになってしまう。もともと下手くそというか、写真を上手く撮ろうというような気がかけらもないのだが、確かにこの機種だとAFも弱いし、それにシャッターが切れたかどうか指先の感触でわからないので、なんだかあまり気分が良くない。

デジカメを買う前に使っていた一眼レフもあるにはあるが、なにせもう10年以上前に買ったもので最近5年は触ってもいないので、ちゃんと動く保証もない。どうしようかと考えてウェブで調べていると、どうもニコンのD70が評判いいらしい。いいや、買っちゃえということで注文していたものが早速届いた。オンラインショップで18-70mmレンズ付キットが130,000円(かなり安いと思う)。SanDiskのultra II 512MBコンパクトフラッシュが9,900円(これはたぶん相当安い)。

『ある物語』(ISBN:4336045666)メモその2

  • P.105 一年が長い<石転びの国>。
    • 原住民が書いたものなら「一年が長い」とはしないのでないか。
  • P.105 それは「男」を意味する言葉で、すべての男の子は「ジョン」と名付けられる。
    • 「ジョン」は匿名をあらわすものか。なおジョンあるいはヨハネはもとはヘブライ語で「神は慈悲深くあった」の意。
  • P.105 二人目の子は普通のようには生まれなかった。
    • 二人の子供は鏡像関係にある。
  • P.106 絹糸のように細い黒髪が、頭の後ろに黒い後光となって広がった。
    • 母親である<揺れる杉の枝>の髪は黒髪。「後光」は<揺れる杉の枝>が聖母であることを示すか。
  • P.106 すくいとって娘の足にかけた。
    • 素直に読むなら寒さで凍える娘の足を暖めたのだろうが、なにやら洗礼の秘蹟を思わせる。
  • P.106 そのように、わたしが生まれたとき、わたしの母もやった。そのように、おまえも自分の娘のためにやるだろう。
    • 父親の存在が欠けている。これは聖アンナが<無原罪の御宿り>で聖母マリアを受胎し、さらに聖母マリアがイエス処女懐胎したことを意味するようだ。これはクローニングの主題にも繋がる。
  • P.106 初子は死ぬ――か残らぬ。
    • "The first birth kills--or none." これは意味がわからない。
  • P.107 そこで揺れる杉の枝の母は流れに呑まれ、東風はその手から奪われた。
    • ここでは東風に何が起きたか意図的にわからなく書いている。